くっすのWeb文章

男性における精神的な成熟、マスキュリニティなど

Biddulphの「男性にとっての本当の仕事」の記述がミュージカル版「ライオンキング」のことを言っていると思えた話

前回の記事にて、Biddulph(ビダルフ)の著書から「男性にとっての本当の仕事」の箇所の引用をしました。

そのうちの1つに、以下があります。

もし自分自身の仕事を信じられていなかったら、心の底に抱えてしまう矛盾によって、あなたはゆっくりと蝕まれていくだろう(あなたは自分自身が何者であるのかを忘れてしまうだろう)

こちらは原文(Vermilion, 2004版. 36ページ)では

If you don't believe in your own work, then the inner contradictions of it will slowly start to kill you.

となっているので、最後の部分は「あなたはゆっくりと蝕まれていくだろう」という表現が原文に近い印象があります*1

しかし、私はここで敢えて「あなたは自分自身が何者であるのかを忘れてしまうだろう」という表現も併記しました。

というのも、この箇所を読んでいて、
「この部分は、まるでミュージカル版『ライオンキング』のことを言っているかのようだ」
と感じたからです。


ミュージカル版「ライオンキング」では何が起こるか

www.shiki.jp



ミュージカル版「ライオンキング」では、第1幕の終わりに主人公シンバ(子役のヤングシンバ)は叔父スカーの策略によって故郷であるプライドランドから去ることになります。
第2幕でのシンバ(大人役)の初登場の時には、シンバは、「なぜだかわからないけれどもウズウズしている」という感覚を持っています。

現地で出会った仲間であるティモンが川に落ちそうになった時に、父親ムファサが死んだ事件(実際はスカーによって殺された)を思い出し、トラウマのフラッシュバックが起こります。
それでも、シンバは「何でもないよ」と振る舞います。

ヒロインであるナラがプライドランドを離れて放浪をしていて、偶然にシンバと再会した時に、
「スカーが王になったせいでプライドランドは荒廃してしまった。王になるべきなのは、あなた。戻ってきて、本来のプライドランドを取り戻してほしい」
と懇願をされます。
それでも、シンバは、
「辛いことが起こったとする。でも、どうすることもできない。だから、何もしない。ハクナ・マタタなんだ」
と責任逃れの返答をします。
第1幕の最後に「ハクナ・マタタ」が楽曲として演奏される時は、現地で出会ったティモンとプンバァがシンバを励ます場面となっています。
しかし、ここでのシンバの発言は、まさに自己正当化ですね。



転機となるのは、呪術師ラフィキと出会う場面です。
ラフィキはシンバを子どもの頃から知っていますが、シンバはラフィキを知らない、または覚えていない、と推測されます。

「あんたは何者なんだ」と反応するシンバに対して、ラフィキは言います。



「お前こそ、何者だ」



そして、ミュージカル版のストーリー展開において最重要な楽曲の「お前の中に生きている(リプライズ)」の場面へと移ります。

楽曲の中間部にて、水の中に映る像が父親ムファサの顔になり、シンバに語りかけます。

「シンバ。お前は、私のことをすっかり忘れてしまった」

「あなたのことを忘れることなどできようか」
と答えるシンバ。

ムファサは語り続けます。

「お前は、自分が何者であるかを忘れてしまった。
だから、父である私のことも忘れてしまったのだ。
お前は、ただの雄ライオンではない。
次の時代の王となる者だ。」

楽曲が終わった後、シンバはプライドランドへ戻り、スカーに立ち向かい、打ち勝ちます。
シンバは王(ライオンキング)となり、プライドランドは蘇ります。


「自分自身が信じられる仕事をする」ために「自分が何者であるのか」を思い出す

第2幕の初めでは、シンバは「ひとまず生きていく」ことはできていました。
しかし、心の中に葛藤を抱えたまま過ごしていて、それへの表面的な対処として「自分が何者であるかを忘れる」をしていたのではないかと思います。

そうだとすると、「自分が何者かを思い出す」ことにより、「使命(ミッション)」と「ヴィジョン」が明確に意識できた、と言えます。

ここでは、使命(ミッション)とは、「自分が果たすべき役割」とします。
シンバの場合は「王になる」です。

また、ヴィジョンとは、「世の中がどうなっていてほしいかという思い」とします。
シンバの場合は「プライドランドを取り戻す」です。



私としては、
「自分が果たすべき役割」
「世の中がどうなっていてほしいかという思い」
のどちらも、
「自分が何者であるのかを知ること」がなければ明確化できない、と考えたいです。

ただし、この場合の「知る」というのはきっととても微妙なもので、人によっては「思い出す」という感覚の方がしっくりくるかも知れません。(まさにシンバのように。)



そして、やはり、「自分自身の仕事を信じられていない」と感じているということは、「自分自身が何者であるのかを忘れ始めている」ことの兆候ではないかと思うのです。

現実には「自分自身が信じられる仕事をする」のは簡単ではありません。

それでも、やはり、「自分自身が何者であるのかを知る(思い出す)」をして、「自分自身の仕事を信じられる」という方向へ進んでいくのが良い、と私は考えたいです。




お読み下さり、ありがとうございました。

*1:翻訳版の25ページでも「ゆっくり蝕まれていくことになるだろう」となっています。