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男性における精神的な成熟、マスキュリニティなど

「目に見えない」虐待というものが存在する

男性の人生における人間関係を向上させるという文脈で、アタッチメント理論について調べていました。その過程で、本人も大人になるまで虐待を受けていたと気づかないという、「目に見えない」虐待というものが存在する、と知りました。今回は、その「目に見えない」虐待に簡単に触れてみることにしました。


「目に見えない」虐待について

「目に見えない」虐待について、以下に引用をします。

『親は選べないが人生は選べる』高橋 和巳 | 筑摩書房


138~139ページより。

 激しい虐待を受けて育った人について述べてきました。次は、本人も大人になるまでは気づかなかったような、「それほどひどくない」、「自覚できないような」虐待を受けてきた場合です。
 自覚できないような虐待とは、激しい身体的虐待はなくて、心理的虐待やネグレクト(養育放棄)が中心の場合です。

 このような場合、周りからは虐待は見えません。普通の家族のように見えるし、虐待を受けた本人にもその自覚はありません。

なお、「目に見えない」虐待(「自覚できないような」虐待)の例として、ネグレクト、心理的虐待、心理的ネグレクトの説明があります。


「目に見えない」としても、虐待は虐待である

「目に見えない」虐待という捉え方は、これまで聞いたことはありませんでした。この場合、上記の書籍の138ページにある通り、「ご飯をもらえたことはなかった」「学校にも行かせてもらえた」「普通の家庭だと思ってきた」と本人は考えているので、「自分は虐待を受けてはいなかった」とずっと捉えていることになります。それが、大人になった時に、何かのきっかけで「自分は、実は虐待を受けていたのだ」と気づく、ということになります。

「目に見えない」としても、やはり、虐待は虐待であるのだ、と私は考えています。つまり、被虐待経験を持っていることによって、その人は心の傷を抱えて生きていきます。同著にて説明されているように、「反応性アタッチメント障害」または「脱抑制型対人交流障害」という精神疾患によって、心の辛さが表現されることもあります。そして、このような傾向は大人になっても残ります。

もし、「目に見えない」虐待を受けていた人がその被虐待経験に気づくことができなかったら、その人は自分の抱えている問題を別のことに求めるのでしょう。しかし、本質的な問題が「目に見えない」虐待であったとしたら、そのことに向き.合わなければ、何をやっても功を奏さず、いつまでも問題を解決できないはずです。実際に、「本当はアタッチメント障害が原因と思われる根拠があるにも関わらず、別の精神的な障害が原因であると判断されるケース」がある、といった主張を見つけています。これは非常に重要な観点ですので、しっかりと捉えていきたいです。ただ今回はそこまでは言及できないので、今後に取り上げていきたいです。今回の記事では、「目に見えない」虐待というものが存在する、というところまでといたします。





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