11月24日の記事に書いた通り、ニューヨーク州にてMen's Weekendというリトリートに参加をしてきました。そこでの経験を簡単に要約することは難しいです。しかし、参加するに至った経緯についてはもっと簡単に説明ができます。今回は、なぜ外国にまで行ってMen's Weekendに参加することにしたのか、その過程について書いています。
- 国内の文献を調べてみた ー 男性学および男性論は社会学
- 英語圏の文献を調べてみた ー 少年が大人の男性になるためのイニシエーション
- MANTALKSのMen's Weekendに興味を持つ
- Men's Weekendに参加をした理由
- おわりに
国内の文献を調べてみた ー 男性学および男性論は社会学
今年の中頃から、男性学および男性論について調べることが多くなりました。以前からこの分野に興味を持っていて少しずつ文献を当たってはいたものの、ここまで集中的に調べていたわけではありませんでした。改めて調べてみたところ、男性学および男性論はジェンダー論に属する分野であり、そして社会学に属しているのだなあ、という感想を持ちました。主なアプローチ手法は統計調査であったりインタビュー調査であったり、先行文献の調査であったりする、と感じられました。社会の中の一要素である男性という存在に対して、これらのアプローチ手法によって、その実態を明らかにする。そして、それを基に望ましい在り方の提言をする。なんとなく、社会学っぽい在り方だな、と感じていました*1
英語圏の文献を調べてみた ー 少年が大人の男性になるためのイニシエーション
国内の文献を調べることと並行して、翻訳ものにも当たってみました。翻訳ものでも社会学的な文献があります。しかし、私がのめり込んで読んだのは、買ってからずっと放置しておいたスティーブ・ビダルフの本でした。スティーブ・ビダルフはオーストラリアのセラピストです。私がそもそも認知科学専攻(心理学専攻と説明することもあります)だったからか、ビダルフのアプローチをとても良いと感じました。もはや、感動した、というレベルでした。改めて読んでみたら、以前は全く興味を持たなかった「少年が大人の男性になるためのイニシエーション」の箇所を、非常に興味深く読むこととなりました。これはまさに内面的な変化に大きく着目したものであり、精神的な成熟を確かに達成させている、というものでした。
こんなに重要なことが、国内の文献では全く言及されていない。外国の英語圏の文献を読むというだけで、これほど重要な事を知ることができる。それなのに、どうして、国内では「少年が大人の男性になるためのイニシエーション」について知られていないのだろう。
そうして、「少年が大人の男性になるためのイニシエーション」をもっと知りたいと思って探していたら、英語圏の文献とWebサイトにて他にもいくつも情報源を見つけることができました。
MANTALKSのMen's Weekendに興味を持つ
そのようにして見つけた情報源のうち、MANTALKSのPodcastで「少年が大人の男性になるためのイニシエーション」をテーマとしているエピソードを見つけました。
そこから、同じくMANTALKSのサイトにて提供されている"Shadow Course"というオンラインコース(ユング心理学で言う「影」を扱っているコース。用意されている映像や文章などのコンテンツを自分のペースで学習していく形式)を受講して、自分にとって役に立つと感じました。そして、そのままMANTALKSが提供しているプログラムを他にも受講してみたら良いだろう、思われました。そこで、次のステップとなるのはMen's Weekendである、という結論に至りました。
Men's Weekendに参加をした理由
Men's Weekendはアメリカ国内にておこなわれる現地参加の5日間のプログラムなので、時間も費用も参加のハードルも、それまでと比べて明らかに高くなっていました。準備にも時間はかかりましたし、その過程で何名かの方に相談をさせていただきました(相談に乗っていただいた皆様、どうもありがとうございました)。
なぜ、わざわざそこまでしてMen's Weekendという機会に参加をしたのか。改めて理由を考えてみました。
内面的な変化という観点がやはり本質的だと感じていたから
まずは、現代の男性の問題について、内面的な変化(または精神的な成熟)という観点がやはり本質的だと思えたこと。現在に起こっている問題を論理的に分析することも重要です。それと共に、個々人にとって望ましい状態へと移行するためには内面的な変化を得られる機会が非常に重要である、という思いが強くありました。現代社会の男性が苦しい状況にあるのは、(様々な文化圏で広くおこなわれてきた)「少年が大人の男性になるためのイニシエーション」が失われてしまったから。端的ではあるものの、この正当性は非常に高いと感じていました。しかし、国内では「そのような風習が現在では失われてしまった」という記述すらも見つけられませんでした。存在が完全に忘れられてしまっていました。そうなると、現代の日本社会にて多くの男性が大人として成熟できていないことは、当然であると思えてきました。そして、そうなってしまっていることは、当の男性たちの責任があるわけではないでしょう。決して、自己責任ではない。知ることができれば、機会を得ることができれば、乗り越える経験を積むことができれば、困難な状況に対しても自信を持って立ち向かうことができる。自分自身にとって必要な要素とは、このような「少年が大人の男性になるためのイニシエーション」にあるのではないか。そして、もしかしたら、このような観点が日本社会にて男性が置かれている状況を解決できるのではないか。MANTALKSにて提供されているMen's Weekendは、伝統的な「少年が大人の男性になるためのイニシエーション」の風習を踏まえつつ、現代の状況に合わせたプログラムをきっと提供している。そのような確信を私は持っていました。自分にとってこのような機会は必要だし、その経験を持ち帰ることによって、国内の男性の皆さんにも良い変化のきっかけを提供できるのではないか。申し込みのために連絡をしたり、当日に向けて準備をしていくにつれて、このような思いを次第に強めていくこととなりました。
自分を試すことになるから
次の理由は、思い切って参加をすることそのものが自分を試すことになるから、というものです。知らない場所、知らない人々、知らない活動の中に飛び込んでみる、ということはリスクテイキングです。これまでの人生で、私はリスクテイキングを充分にできていませんでした。その足踏みの期間があまりにも長く続いてしまっていたと気づいた時、私は強い後悔を覚えました。今からでもできることは何か。そのように考えると、必要なのは大きなリスクテイキングであると思い至りました。コンフォートゾーンを抜け出さなければ、精神的な成長はきっと得られません。このMen's Weekendという機会は、きっと自分にとって必要なのだ。だから行ってみよう。信じてみよう。その行動がリスクテイキングになると捉えました。
MANTALKSのPodcastでも、「少年が大人の男性になるためのイニシエーション」と関連して、男性の成長においてリスクテイキングがどのように重要なのかに言及をしている箇所がありました。「少年が大人の男性になるためのイニシエーション」に参加をすることがリスクテイキングとなるということは、プログラムの趣旨にも適うものである。だから、リスクを取ってMen's Weekendに参加をすることはとても望ましいことだ。そのように、私は考えました。
そして、そこまでしてわざわざ参加をすることは自分自身の本気度を試すことにもなる、と考えました。確かに、これまでにも特定の分野のスキルを身に付けるためのスクールに通ったり、特定の職業のための資格取得をしたことはありました。しかし、それらを本当に心からやりたいと思ってはいませんでした。そうなると、そこまでハードルの高いことをわざわざやるというのは、自分自身の本気度を確かめることにもなる、と感じました。
この場所のこの回なら参加するべきと感じられたから
Men's Weekendは、毎回、アメリカ国内で場所を変えて開催されているようだ。Webサイトを見る限り、そのように判断できました。そして、検討中の次の回の開催場所(ニューヨーク州ローゼンダールにある会場)の写真を見ながら、このように感じていました。
この場所ならば、是非とも行きたい。
この感覚はパウロ・コエーリョの『アルケミスト』みたいで良いな。と感じていました。見えたヴィジョンの場所に向かって、理由はわからないがとにかく行きたい、と思い立って旅に出る。「少年のイニシエーション・ジャーニーもの」のストーリーに似ていると思えるなら、趣旨に合っていると言える。そのことを理由の1つにしても良いのでは、と考えました。
また、会期の初日が偶然に私の誕生日となっていました。何という偶然。シンクロニシティですね。このことも、この回なら是非とも行きたい、と思える大きな理由となりました。
おわりに
以上のように考えて、Men's Weekendに参加をしました。今回の記事では、この時点までで終わりとします。この回のMen's Weekendに参加をできたことはとても良かったです。改めて、「男性における精神的な成熟」というテーマに取り組んでいこう、という思いを強くすることとなりました。Men's Weekendへの参加は、このテーマに取り組み始めた時点での記念碑的な出来事になったと思います。というわけで、参加した後についても書きたいことはあります。ですが、そちらについてはまた別の機会に取り上げたいです。
お読み下さり、ありがとうございました。
*1:ただし、見つけた文献のうち、『モテないけど生きてます』は、非モテ研という男性たちによる当事者研究グループの事例が書かれていました。また、『男性は何をどう悩むのか』も、男性専用相談窓口の事例が書かれていました。これらは実践寄りの例だと言えます。