このブログの記事を書くために、ビダルフの本を読み返しています。
最近、そのビダルフの本の中から、
「そういえば、こんなことがどこかに書かれていたと思っていたんだけど」
という箇所を見つけることができました。
「生物学的に必要としているのかもしれない」という表現がとても印象深い文です。
なぜ、自分がこの箇所について気になっていたのか。
それについて考えてみました。
該当箇所を以下に引用します。
男の人って、どうしてこうなの? | 草思社ひょっとしたら、少年たちは男性との一対一の接触を、一日数時間、生物学的に必要としているのかもしれない。
(133ページより)
なぜ重要だと感じたのかを考えてみる
「生物学的に必要としているのかもしれない」という表現は、「心理的・精神的に影響を与える可能性がある」というだけに留まらず、「脳内物質など生理的な指標で測定できるくらいに、大きな影響を与える可能性がある」というレベルでの示唆をしていると言えます。
「少年たち」にとって、「男性との一対一の接触」が、心理的・精神的な影響はもちろん、身体的なレベルにまで影響を与える可能性がある。
このような含意に、私は注意を引かれたのかもしれません。
上記の引用箇所は、「ステップ4・子どもと積極的にかかわる」という章の「今日の父親不在」という節の一部分です。
つまり、「男性との一対一の接触」という意味での「男性」とは、明らかに父親を指しています。
少年にとって、一日数時間、父親との一対一の接触を持つことは、「できればあった方が良い」という程度のことではない。
目に見えるレベルで大きな影響を与えるくらい、無くてはならないものである。
上記の引用箇所では、それほどの重要性があると示唆をしています。
私自身としては、今、特にこの箇所が強く気になっている、というのは当然です。自分の経験を振り返ってみると、そうだと強く感じられます。
しかし、私と同年代の男性でも、父親との接触の時間が十分に持てていた人は、この部分を読んでも特に何も感じないのかも知れません。
それとも、上記の引用箇所の前後でビダルフが説明しているように、父親は仕事に行っていたからいつも不在にしていた、という記憶を持っている男性の方は多いのでしょうか。
それによって、父親との接触の時間を充分に持てなかった、と多くの方が感じているのでしょうか。
とはいえ、ビダルフはオーストラリアの人物です。
また、該当の本が書かれたのも(翻訳版が出されたのも)だいぶ前のことです。
現在の日本国内では、どのような状況にあるのでしょうか。
少年たちおよび男性たちは、自分の父親と接触する時間を充分に持てているのか、持てていたのか。
また、そのことについて、少年たちおよび男性たちはどのように感じているのか。
やはり、このことが気になります。
そして、もう1つ、私自身のことで気付いたことがあります。
私がキャリア論に興味を持っていたことも、もしかしたら、上記のことが関係しているのかも知れません。
「父親は仕事に行っている。どこかに行って何かをしているらしい。だから、いつも不在にしている。しかし、それはいったい何なのか。仕事っていったい何なんだろう」
私は、シンプルに、
「自分自身がどういう仕事に就いたら良いかを深く考えたい。そして、納得のいく選択をしたい。だから自分はキャリア論を学んでいるのだ」
と捉えていました。
しかし、最近に「男性における精神的な成熟」を主軸にして考えるにつれて、考え方が変わってきました。
自分にとってキャリア論が重要なのは、それが「男性としての良い生き方とはどのようなものか」に深く関わることだから。
今では、この可能性が高いと感じられます。
そのだとすると、私が既に知っているキャリア論とマスキュリニティとの共通部分となる領域について、さらに検討してみると良いですね。
お読み下さり、どうもありがとうございました。