タイトルの通り、「男性における精神的な成熟」をテーマとして扱いたいと考えています。
「男性における精神的な成熟」をテーマとしたい理由
理由としては、まず何より、「自分自身にとって重要なことだから」という点が挙げられます。
7月16日の記事と8月25日の記事でも触れたように、少年が大人の男性になることは、特定の年齢に達しただけで自動的になされるものではありません。今の私は、強くそのように感じています。
だから、「大人の男性になること」を、つまりは「男性における精神的な成熟」がどのようにして起こるのかを明らかにする必要がある。
「男性における精神的な成熟」とはどのようなもので、どのような要因によって達成されるのか。
私自身が知りたいですし、私自身が精神的な成熟を適切に果たしたい。
これが最初の理由です。
もう1つの理由は、「必要だと感じられるから」というものです。
最近の記事で書いてきたことの主張に沿って、私は、
「本来なら達成されているはずの『男性における精神的な成熟』が現代社会では十分に達成されていない」
と捉えたいです。
つまりは、現代社会の男性は、本来の男性の在り方をしていない。
だから、自信も矜持も誇りも持てていない。
そうなると、人として満ち足りた生涯を送れるはずがない。
現代社会の男性は、このような境遇にあると申し上げたいです。
それならば。
本来の男性の在り方をするとはどのようなことなのか。
どのようにしたらそれが実現できるのか。
これらを問うべきでしょう。
そこへと至る道筋となるのが、「男性における精神的な成熟」である。
このように考えました。
国内の男性論関係の文献を読んでみると、このような観点はあまり見かけられません。
私の知る範囲では、男性差別、男性の性暴力被害、弱者男性など、男性の弱者性に焦点を当てたものが良く目に付きます*1。
このような観点も重要です。
私自身も、これらの文献を読んで、「あの時のあの出来事で自分は苦しんだんだ」と認めることができたり、「自分は助けを求めてよい立場なんだ」という考え方を持てたりしました。
これらを踏まえつつ、「男性における精神的な成熟」という観点から、男性における良い生き方の実現を模索したいです。
なぜ「男性における精神的な成熟」という表現を選んだか
これまでの記事で触れてきたように、男性のイニシエーションも重要な要素であると考えています。
そのため、イニシエーションも要素の1つとして捉えたい。
そちらも視野に入れつつ、もう少し広い範囲を検討対象としたい。
そのように考えていたら、「男性における精神的な成熟」という表現が浮かび上がってきました。
イニシエーションはとても劇的で大きな変化を起こすものです。しかし、成長は必ずしも劇的なものだけではなく、徐々に起こる変化も存在しているはずで、やはりそちらも対象として捉えたい。
加えて、少年から大人へとなる時点だけではなく、その前の子ども時代と、大人になった以降の成長と成熟についても対象としたい。
そして、中心的な関心は身体的・物理的・外的な部分というより、精神的・心的・内的な部分にある。
「男性における精神的な成熟」なら、これらを良く表せています。
今後の方向性
今後の方向性として、まずは、男性のイニシエーションの現代的な在り方を見つけたい、ということがあります。
いろいろな部族における様々なイニシエーションの実践の例を見たり読んだりはできますが、やはり、同じことをそのまま現代社会で実施したとしても、うまくいくとは思えないです。
現代社会に合わせた男性のイニシエーションとはどのようなものか。
明らかにしたいこととして、まず、こちらを挙げたいです。
そして、先述した「徐々に起こる変化」に対応するものとして、男性における継続的な人間関係についても着目したいです。
特に、父親との関係、男性同士の関係を想定しています。
「男性における精神的な成熟」という文脈では、この2つが特に重要と思われます。
お読み下さり、ありがとうございました。
*1:ここでは、濱田智崇・「男」悩みのホットライン『男性は何をどう悩むのか』、宮﨑浩一・西岡真由美『男性の性暴力被害』、トイアンナ『弱者男性1500万人時代』などを想定しています。