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男性における精神的な成熟、マスキュリニティなど

「男性を取り巻いている状況に問題がある」であって「男性に問題がある」では決してない

「男性における精神的な成熟」というテーマに取り組むにあたり、「男性を取り巻いている状況に問題がある」という捉え方をすることが重要だと私は感じています。そのように考えられる理由を、スティーブ・ビダルフの著書を元に4つ挙げました。また、なぜ「男性に問題がある」と言われるのかについても書いています。最後に、これらのことを踏まえて、私が主張したいことを述べました。

「男性を取り巻いている状況に問題がある」とは

「男性を取り巻いている状況に問題がある」とはどういうことか。ここでは、スティーブ・ビダルフの著書から引用しながら、このように考える理由を4つ挙げます。その後に、それらの理由と私の経験についても書きます。

男の人って、どうしてこうなの? | 草思社

そのように考えらえる理由

1.父親と息子は引き離された

男が男であることを学ぶための、古代からつづく鎖が壊れてしまった今、それを造りなおさなければならない。長い人類の歴史からすると、伝統の鎖が断ち切られたのはつい最近のことで、おそらく二百年前の産業革命の頃にはじまった。(略)
 五十万年という人類史ではじめて、男たちは村や農地で女性や子どもと一緒に働くのをやめ、工場や鉱山に一人で働きに出かけた。そのことによって、永遠の伝統が破れ、男の子たちは女性の手で育てられるようになった。それ以前はずっと、男の子の成長に誇りをもって手を貸す年上の男たちの、やさしい教えを受けて育っていたのである。というのも、種族や村が立派な男を育てないと、全員の命が危険にさらされたからだ。

前掲書36~37ページより。

しかしもっと重要なのは、父親(ないし父親がわりになる人物)の積極的なかかわりを得られなかった少年たちは、男としてうまく生きていけないということである。単純すぎると思われるかもしれないが、実際にそうであり、例外はないのだ。

前掲書123ページより。

大人の男性とはどのようなものか。小さい男の子が初めて「大人の男性」に対して抱くイメージは、間違いなく、父親からくるものでしょう。父親の姿を見て、自分は大人になった時にどのようになるのか、ということを想像すると言えます。

しかし、そこには問題があります。
なにが問題なのか、お分かりの方も多いでしょう。

小さい男の子にとって、「父親はいつもいない」という存在だからです。

大きな傾向として、このことはやはり無視できません。そもそも「いつもいない」のであれば、大人の男性がどのようなものであるのか、想像することもできません。ビダルフの上記の引用で述べられているように、人類の長い歴史から言えば、「父親が家から離れた職場で朝から晩までずっと働いている」という習慣は、非常に最近の出来事です。ビダルフによると、五十万年もの間、父親と息子がいつもすぐ近くで生活をしてきたわけです。そして、その前提とは違う在り方をしているのは、たかだか二百年程度です。たった二百年間の短い期間の習慣だけで、「父親と息子との関係はこういうものだ」と、私たちは疑いもなく信じているわけです。そして、労働に勤しむことができるのが「良い男性」であると見なされて、息子と接する時間を持つことはやってもやらなくても同じ、という程度のことと捉えられてしまいました。これでは、小さい男の子が、大人の男性になることのイメージを人生の初期の時点で上手く持つのは、非常に難しいです。

もちろん、「この問題については、最近の10年くらいの間で変わってきているのでは」というご意見をお持ちの方もおられるでしょう。私もそうだと思います。例えば、『ファザーレス・アメリカ(未邦訳)』という書籍が出版されたのは1995年です。この頃から「父親不在」が大きな問題であると主張されてきたために、現在では家庭における父親の重要性がとても認識されている、と考えられます。

そのため、ここでは、「長い人類史の中での元々の父親と息子の関係を取り戻すためには、まだ時間がかかる。それまではこのことは『男性を取り巻いている状況』の問題である」とさせていただきます。

2.信頼できる年長の男性との関わりが重要でないと思われている

 ほうっておいても、苗木は木に成長し、オタマジャクシはカエルになる。けれども、人間の子どもは、多くの助けがなければ一人前の大人にはなれない。大人の男性ないし女性になるには、年長で精神的に成熟した同性との相互作用を、数千時間は必要とする。

前掲書20ページより。「同性」には傍点が付く。

ひょっとしたら、少年たちは男性との一対一の接触を、一日数時間、生物学的に必要としているのかもしれない。

前掲書133ページより。

こちらは、前述の「父親と息子の関係」よりも、まだ重要性が認識されていないかもしれません。私は上記のビダルフの「少年たちは男性との一対一の接触を、一日数時間、生物学的に必要としているのかもしれない。」という表現が好きです。実際に生物学的に証拠を見つけられるかどうかは、あまり大事ではないと私は思っています。ともかく「少年たち」にとって「男性との一対一の接触」が非常に重要であり、それは物質的に存在するかのように、確かに必要なことである。それを、著者であるビダルフが主張をしている、ということが言えます。

「信頼できる年長の男性との関わり」は、特に、少年期から青年期にかけて重要であると思います。その頃には、大人の男性になるためには父親だけではなく、他の大人の男性との関わりを持つことが大切になってくるはずです。父親も一人の男性であり、一人の男性から「大人の男性」の全てを学ぶことは困難だからです。

3.「少年が大人の男性になるためのイニシエーション」が失われた

 今日、少年は十八歳になると男になる。その結果、男の体をまとった少年がいたるところで見られるようになった。過去何世紀ものあいだ、男になるには、計画された長いプロセスを経なければならなかった。それは儀式と努力と年配の男たちの考え抜かれた積極的な介入を必要とした。こうした儀式と努力は、世界中、ところ変わればかたちはさまざまだが、人種や時代にかかわりなくあらゆる社会で普遍的に実践されてきた。それは人類学者たちがほかの文化を訪れたときに最初に注目したもので、「イニシエーション」と呼ばれていた。

前掲書212ページより。

こちらは、さらに、重要性が認識されていないことでしょう。あらゆる時代のあらゆる文化圏にて、「少年が大人の男性になるためのイニシエーション」がおこなわれていた。そして、それを達成していなければ、大人の男性になったとは認められていなかった。これまでの記事でも書いてきたように、私は、この「少年が大人の男性になるためのイニシエーション」について、国内の文献では見つけることができませんでした。せいぜい、「修行」として海外留学をするとか、入社からの年数の浅い会社員が海外で働いたりであるとか、そういった習慣から、「少年が大人の男性になるためのイニシエーション」との共通点が少し感じられた程度です*1

もちろん、国内では、そもそも「イニシエーション」という言葉が使われていない、という可能性が大きいです。外来語という雰囲気が強いですし、国内の伝統的な習慣にこの言葉が使われているとは考えづらいです。私としては、国内の事例についても調べていきたいとは思っています。ここでは、「『少年が大人の男性になるためのイニシエーション』が失われてしまっていて、それにより、一定の年齢に達したら少年は自動的に大人の男性になるものと捉えらえれてしまっている。しかし、実際はそうではなく、その結果として男性が精神的な成熟を果たせないことが見過ごされてしまっている。このことが『男性を取り巻いている状況』の1つである」と捉えます。

4.「危機に陥った男性を救えるのは他の男性である」という認識が無い

 もろもろの危機のなかで、きわめてひんぱんに見られるものがある。おそらく離婚の九十パーセントの理由になっているものだ(ほかに山のような理由が列挙されていても)。わたしはその危機の局面を「長い暗い夜」と呼んでいる。(略)
 わたしたちは悲観的すぎるかもしれない。しかし、次の点は重要なことなので、しかと心に刻んでおいてもらいたい。今、あなたに必要なのは女性ではないということだ。(略)
このような時期のよき友は、あなたが自分の問題を話すのを聞いてくれるだけでなく、楽しみも分かちあい、釣りやハイキングや食事に連れだしてくれたり、一緒に料理をしたり、遊んだりしてくれるだろう。彼らはまた、適当な時期がきたら、あなたが家庭に戻って、問題を解決するときであることを指摘してくれるだろう。男性の友人や年上の人は、あなたの傷口を洗い、あなたを元気づけ、抱擁し、リング上に投げ返してくれるかのようだ!

前掲書115~118ページ

男性が人生の危機に陥った時に、他の男性こそがその男性を救うことができる。なぜならば、同じ男性として、その人の考えることに共感ができるから。非常にシンプルなことです。同じ立場だからこそ理解できることがある。しかし、確かに、ビダルフの上記の箇所を読むまで、私はこの可能性を考えてもみませんでした。もちろん、これは「女性は決して男性を救うことができない」ということを意味してはいません。女性が男性を救うこともできるし、男性が女性に助けを求めることが良い場合もあるでしょう。それを踏まえつつ、同じ立場として、男性でなければ男性を救えない状況も存在する。このことの認識が足りないために、男性が危機を乗り越えることが困難になっているのではないか、と感じられます。良く言われるように、男性の方が自殺率は高いです*2。これは、男性の場合、いざという時に誰かに頼ることが難しくなっている、ということの示唆でしょう。そして、もちろん「自殺していないならば必ず幸せに生きている」というわけでもありません。自殺まではいかなくても、心に大きな不安感を抱えて生きている男性が多く存在していると捉えるべきでしょう。そういう人が、危機的な時には、信頼できる男性こそが頼るべき相手だ、と思えていない可能性は高いです。

これは、前述の1~3番目とも関わることと思います。人生の初期で一番身近な男性と心の通う関係を持てなかった、その後の人生でも年長の男性と信頼のできる関係を築けなかった、そして、大人の男性へとなるべき節目の時点でも、周囲の男性からのサポートを得ることはできなかった。そのような人生を歩んできた男性は、「これまでに最も自分をケアしてくれたのは母親だった」という認識しか持てません。自分を感情的にケアしてくれるのは女性である、と何の疑いも持たずに信じることになります。そうなると、そのような男性が人生の危機(離婚または失恋)に陥った時、頼れる人がほとんどいない、または全くいない、という状況になる可能性は高いです。「この世に誰も自分を受け入れてくれる人はいない」という認識を持った時、その男性が次に取る行動は明らかでしょう。

男性同士だからこそ、危機的な状況では助け合える。むしろ、危機的な状況だからこそ、男性同士で助け合うべきである。このように捉え直すことができたら、この世から自ら去ることを選ぶ男性が少しは減るかもしれません。そして、何かのきっかけでそのような危機に陥るかもしれない男性にとっても、より充実して生きることができるようになるかもしれません。というより、きっとそうなるはずだ、と私は信じています。

4つの理由と私の経験

以上、ビダルフの主張を元に、「男性を取り巻いている状況に問題がある」と考える理由を4つ挙げました。
この4つの理由を元に、私自身が経験したことについて書きます。

1つ目の、「父親と息子は引き離された」ことについて。これは、私にとっては非常に明確に起こっていました。私にとっては、父親は、もはや存在しないも同然でした。物心付いた時には、父親はいつもいない。「会社」であるとか「仕事」であるとか言われても、当然ながら、その時の私にはよく理解できませんでした。では休日には関わりを持ってくれたかというと、それもありませんでした。当時はみんなそんな感じだった、という解釈もできます。しかし、最近では、私の父親はリンジー・C・ギブソン親といるとなぜか苦しい』で述べられている「精神的に未熟な親」に該当するのではないか、と考えています。私にとっての「父親不在」の経験については、書くと長くなりそう*3なので、今回はここまでとしたいです。

2つ目の、「信頼できる年長の男性との関わりが重要でないと思われている」ことについて。これも、私はこれまで考えたこともありませんでしたし、「少年には信頼できる年長の男性との関りが重要である」という発想を聞いたこともありませんでした。幼少期から少年期、青年期に至るまで、必要な年長者は「先生」という存在でした。幼稚園から小学校では女性の先生が多く、その後の中学校以降はだんだんと男性の先生の割合が高くなっていました。小学校とそれ以降は先生は特定の教科の内容を教えている存在でした。「良い男性として成長するために、信頼できる年長の男性と接する」という発想は、学校制度の中にはありませんでした。そして、学校以外の場でも、信頼できる年長の男性と接する機会は持てませんでしたし、私も、そういう機会が必要だとは考えていませんでした。

そして、今から考えると、私は明らかに年長の男性と接する機会を避けていました。父親との良い思い出が全く無かったからです。父親から何か言われたこととしたら、お前は間違っているとか、お前のそういう行動はおかしい、といった記憶しかありません。こうなると、「年長の男性とは怖いものだ」という認識しかできないのは当然ですね。また、ビダルフの前掲書には「父親の影が薄い少年たちは、容易に見分けることができる。彼らは二つのはっきりしたタイプに分かれる。(略)もうひとつのタイプは(略)新しいものごとを試したり、新しい場所に行ったりするのを躊躇し、しばしば不合理な恐れを抱いている。」(141ページ)という説明があるのですが、これは当時の私に良く当てはまります。このようにして、私は父親との関係という最初のステップに上手く乗ることができず、そしてその後の信頼できる年長の男性との関わりの方へも、進むことができなかったことになります。

3つ目に「『少年が大人の男性になるためのイニシエーション』が失われた」ことについて。共同体の制度としては、もちろん存在していませんでした。そして、中高の部活の運動部などがこの「少年が大人の男性になるためにイニシエーション」の肩代わりをしていた可能性があると私は捉えているのですが、私はそちらの経験を持つこともありませんでした。海外留学をしたり、ということも私は経験しませんでした。こちらについては、今から思うと、前述のような「新しいものごとを試したり、新しい場所に行ったりするのを躊躇」する行動パターンを大学の頃にも続けていた、という可能性があるでしょう*4。というわけで、ここでもやはり、私は大人の男性として充分に成長する機会を逃していたことになります。

4つ目の、「『危機に陥った男性を救えるのは他の男性である』という認識が無い」ことについて。これについては、私もずっと「男性だからこそ危機に陥った他の男性を救える」と捉えたことはありませんでした。1つ目の「父親と息子は引き離された」にも関連しますが、私にとっては幼少期の親とは実質的に母親だけでした。そして、他の家庭でもそれは変わらないと捉えていました。その延長で、結婚後には妻が母親代わりとなる、という認識を漠然と私は持っていました。だから、青年期までは危機に陥ったら母親に助けを求め、結婚後は危機に陥ったら妻に助けを求める。世の中はそのように回っているらしい。私はそのように考えていました。

私の場合、ここでやっと希望のある話となります。去年の11月のメンズ・ウィークエンドに参加したきっかけの1つは、「危機に陥った男性を救えるのは他の男性である」と当時の私は強く信じていたからです。これには、今回に参照をしているビダルフの書籍による部分が非常に大きいです。前述の引用の「今、あなたに必要なのは女性ではない」ということを、去年の夏頃の私は強く確信していました。そうに違いない、と。そして、ビダルフが書籍にて説明しているのと同じように、メンズ・ウィークエンドの主催団体であるMANTALKSのポッドキャストで「少年が大人の男性になるためのイニシエーション」の重要性を説明していることがわかりました*5。そうして調べていくうちに、「このメンズ・ウィークエンドという機会ならば、自分が身体の奥底から求めていることをきっと得られる」という確信を深めていきました。そして、実際にその通りでした。年齢が20歳以上の人を対象としているため、その点では「少年が大人の男性になるためのイニシエーション」とは異なっています。しかし、人生の危機であったり、人生の大きな節目にある男性たちが集まり、新しい自分となって帰還(リターン)していく、という最も重要な部分は変わりません。「男性を取り巻いている状況に問題がある」この社会にて、この段階にきて、私はついに本当に求めていることを得られました。

私が渇望していたのは、本心から信頼ができる父親像であり、本心から信頼できる年長の男性像であり、自分がそのような成熟した男性へとなっていくための機会でした。こうして考えてみると、それまでの生涯で、私はそのどれも得られていませんでした。確かに、現代社会では、男性の生涯においてこのような観点は重要視されていません。しかし、身体の奥底に押し隠そうとしていても、その渇望は大きな喪失感と後悔となって、私の思考の領域にまで現れました。幸い、私の場合は本心から確信をできる原因を突き止め、そして本心から確信できる、立ち直るための機会を得ることができました。

「今、あなたに必要なのは女性ではない」に関連して

少し横道にそれますが、ここで、私の感じていることを述べたいです。「女性との良い関係が持てないから自分は不幸なのだ」と感じている男性の方がおられると思います。そのことについて、本心から信頼できる他の男性(できれば年長の)と接することが解決策になり得る、と考えてみていただきたいです。女性との関係をあきらめてください、ということではありません。そして、もちろん、異性愛が無理なら同性愛を目指してください、ということでもありません。私と同じように「父親不在」の経験をされた方なら、「自分の危機を救ってくれるのは母親である」という認識から「自分の危機を救ってくれるのは女性である」という認識を、現在でも持っているかもしれません。しかし、本来、母親として接してくれるのは母親だけです。私は今では、他の女性に母親代わりを求めることは、長期的には上手くいかないのだろうと考えています。「女性との良い関係が持てないから自分は不幸なのだ」と考えている方の中には、実際には「他者との信頼できる関係が持てないから自分は不幸なのだ」という捉え方が、より適切な見立てであることもある、と私は考えてます*6。そのような時こそ、信頼できる他の男性に助けを求めることを考えていただきたいのです。「君の気持ちはわかるよ。自分も同じ経験をしたから」という関係性が持てるのは、同じ属性を持っている人同士だからこそできることです。そして、信頼できる他の男性との良い関係性を持つことができたら、きっと安定した心も持てるはずです。そうなると、結果的に、女性との良い関係を持てる可能性も高められるはずです。私はそのように捉えたいです。

つまり、あなたが「愛を受け入れることも捨てることも」できるようになったとき、言い換えれば、愛や情愛がもはや死活の問題ではなくなるとき、そのすべてが手に入るという、人生の甘い逆説がここにはあるのだ。

前掲書118~119ページ


もはや「現代社会の男性が精神的に成熟できないことを責められない」というレベル

さて、「男性を取り巻いている状況に問題がある」と私が考える理由を述べてきました。

このことを踏まえて、私は、この状態は「もはや『現代社会の男性が精神的に成熟できないことを責められない』というレベル」にまでなっている、という見解を持っています。若い男性は、どのようにしたら精神的に成熟した男性になるのか、知る機会がありません。それどころか、そうなることが重要だと聞く機会も、あまりないと考えられます。そして、年長の男性も、精神的に成熟するということについて良く知りません。というより、そもそも年長の男性があまり精神的に成熟していない可能性が高い、と私は考えています。ビダルフの言うように、父親と息子が一緒に時間を過ごすのが当たり前であった時代はもう二百年も前です。その頃の記憶を持っている方は、現代にはもういません。そして、この二百年の間でのその変化が問題視されることは非常に少ないです。現在の男性が、本当に大人の男性として成熟できているかどうかに自信が持てない可能性が高い。これはもはや、当の男性たちを責められるものではない。私はそのように強く感じています。


ではなぜ「男性に問題がある」と言われるのか

そうだとすると、なぜ、「男性に問題がある」と言われるのでしょうか。

その理由は、「男性を取り巻いている状況に問題がある」と「男性に問題がある」とを区別することは、離れたところからでは難しいから、でしょう。「一升瓶を飲む」というのは、実際には、「一升瓶の中に入っているお酒などを飲むこと」を意味しているということと同じ、と捉えたいです。

もちろん、「男性を取り巻いている状況に問題がある」と「男性に問題がある」の関係は、「一升瓶」と「中身のお酒」とは違い、物理的に触れられるものではありません。それでも私は、「男性に問題がある」という発言がなされた時に、厳密には「男性を取り巻いている状況に問題がある」と解釈することを選びたいです。「男性に問題がある」と捉えてみても、その後のアクションは難しいからです。もし男性が「男性に問題がある」と言われた時に、そのことに対してどう感じるのでしょうか。たいていは、「その発言をした人は、自分(自分たち)のことをわかってくれていないな」と思うのではないでしょうか。そう考えると、こちらは良い見立てだとは思えないのです。

それに対して、「男性を取り巻いている状況に問題がある」と捉えた場合はどうなるでしょうか。この捉え方は、男性を非難することにはなりません。さらに言うと、男性そのものが変わらなければいけない、という示唆もありません。本当に変えるべきなのは、取り巻いている状況なのだ。こう考えることで、より客観的に問題の本質を考えることができます。どちらの捉え方をしてもいい、ということならば、問題を解決しやすい捉え方をした方が望ましい。そのように考えた方が良いのではないでしょうか。

なお、私自身は、今回の記事にもあるように「『男性を取り巻いている状況に問題がある』であって『男性に問題がある』では決してない」と信じています。4つの理由を前述したように、変えるべきなのは、男性が本来の生き方をできなくなっているという状況そのものであるべきです。状況そのものを変えることに、注意を向けるべきです。問題を解くにあたっては、やりやすい方を選択する、ということも重要です。そのことも踏まえて、私は「男性を取り巻いている状況に問題がある」と捉えるべき、と主張したいです。

ちなみに、私が「男性に問題がある」と男性以外の方が発言した時には、基本的には特に何も言いません。同意もしませんし、異論も言いません。前述したように、「『男性を取り巻いている状況に問題がある』と『男性に問題がある』とを区別することは、離れたところからでは難しい」と私は感じているからです。離れた場所にいる方からは、「何が違うんですか」ということになるのでしょう。そのような状況で、わざわざ言い換えを求めるのは、適切な行為とは思えません。そのことを踏まえつつ、厳密に判断をする場合には、「男性を取り巻いている状況に問題がある」と「男性に問題がある」とは、明確に区別をしてほしいです。どちらの捉え方をするかによって、問題を解決できるかどうかが変わってきてしまう可能性が高いからです。もちろん、そういう状況では、「男性を取り巻いている状況に問題がある」と捉えることを私は提案します。


私は次のように主張したい

以上を踏まえて、私は次のように主張したいです。

まずは、男性ではない方へ。

もし、「男性に問題がある」と考えたくなったり言いたくなったりした時には、少し間を置いて、「男性を取り巻いている状況に問題がある」という可能性を考えていただきたいです。そのように考えることが大切だと考えている人が、ブログ記事の投稿者として、少なくともここに1人います。もし、「男性を取り巻いている状況に問題がある」と捉えて男性の誰かと話をすることができたら、実際にそのように感じられるかもしれません。

そして、男性の方へ。特に、自分を信じられない状態にある男性の方へ。

どうか、男性である自分自身を責めないでいただきたいです。「あなたは男性だ。だからあなたが悪いのだ」ということは決してない、と私は考えます。現代社会では男性が本来の生き方をできていない根拠は前述した通りです。男性が本来の在り方をできていないことは、もはや自己責任ではないでしょう。男性は、自分たちが何者であるかを忘れてしまっています。そして、男性が内なる自己にアクセスすることは、非常に困難になってしまっています。そして、そのような事態になっていることを、誰も説明をしてくれません。ほとんどの男性たちが、そのことを完全に忘れてしまっているからです。誰も、本来の在り方をする方法を教えてくれません。こうなると、ますます、身体の中にある感情を押し殺して、身体と頭とを切り離して、思考だけで生きていくしかなくなります。息苦しい毎日を送らなければなりません。実際に、生まれてからずっと、呼吸が苦しい状態しか知らずに生きている男性もいるかもしれません。

「男性を取り巻いている状況に問題がある」という捉え方について、手に取って眺めてみていただきたいです。そして、それが身体の奥底の感覚と共鳴するかどうか、感じていただきたいです。われわれが変わらなければいけない、という捉え方は、一旦は脇に置いていただきたいです。変えるべきなのは、われわれ自身ではなく、取り巻いている状況である。この捉え方が、身体にフィットするかどうか、試してみていただきたいです。どのように感じられるでしょうか。もし、取り巻いている状況を変えるという捉え方が心地良く感じられるのでしたら、状況のどの部分を変えたら良いのか、身体に聞いてみていただきたいです。われわれが変わらなければいけない、とは考えなくても良いです。ただ、われわれを取り巻いている状況を変える。それだけで充分です。

われわれには、困難に直面した時に、その現状を変える内なる力が備わっています。私はそのことを信じています。自分にはその力は無い、と思う方もいるかもしれません。そうではない、と私は思います。その力をずっと身体の奥底にしまっていたとしても、その力が無くなるとは、私には思えません。これまでの生涯で一度もその力を使ったことがない方も、その力を発揮することはきっと可能です。われわれは、内なる力によって、自分も、自分たちも、少し立場の違う他の方たちも充足できるような在り方を、実現させることができます。われわれは困難に直面しています。とても大変な状況が目の前にあります。しかし、それと同時に、困難な現状を変えるための内なる力も、われわれの中にあります。どうか、われわれ、男性を取り巻いている状況にある問題について、一度、良く見ていただきたいです。われわれは、きっと、現状を良い方向へと変えていくことができます。





今回の記事は、以上とさせていただきます。
新年初の記事となりました。
お読み下さり、どうもありがとうございました。

*1:もちろん、女性が海外留学をしたり海外で働いたり、という例も見ています。また、「少女が大人の女性になるためのイニシエーション」も存在している、と私は認識しています。

*2:例えば、ビダルフ前掲書では、「十二歳から六十歳までの男性のおもな死因は自殺である(一九九八年、日本では三万件を超える自殺があった。その七十一パーセントが男性である)。」(16ページ)、トイアンナ弱者男性1500万人時代』では、「厚生労働省警察庁がまとめた『令和4年中における自殺の状況』を見ると、年間で2万1881人いる自殺者のうち、男性は1万4746人に対して女性は7153人。実に男性は女性の約2倍もの自殺者がいるわけだ。」(34ページ)

*3:私が「男性における精神的な成熟」をテーマにしている一番大きな理由は、そもそも父親との良い関係を持つことができなかったことにあるのでしょう。

*4:とはいえ「何のために留学するのかはっきりしていないなら、見せびらかすために留学に行っているように思える。見せびらかすためなら、留学には行かなくていい」という思いもありましたが。

*5:Mini-Episode: Why Men Need Initiation - Man Talks https://mantalks.com/podcast/mini-episode-why-men-need-initiation/ および Initiation: What Makes You A Man? - Man Talks https://mantalks.com/podcast/initiation-what-makes-you-a-man/

*6:これは、アタッチメントにも関わることですね。