自分が虐待を受けて育っていた場合などは、親に原因があったことや、必ずしも自分に原因があるわけではない、という認識を初めに持つことが必要です。そして、そこから先へ進むためには、その後に別の行動を取らなければなりません。その行動の1つとして、自分が本当に経験したかったことを明らかにして、それを実際に経験しているかのような状況をつくる、ということがあります。そのような前提を元に、今回はファザー・ユアセルフ、つまり「自分が自分の父親となる」ことについて取り上げました。書籍の方法を参考にしながら、私なりにやってみたことについて書いています。
参考にした書籍:MEN'S WORK
Men's Work – Sounds Trueこの書籍の66~75ページの"LEARN HOW TO FATHER YOURSELF"(どのようにして自分が自分の父親となるかを学ぶ)の箇所を参考にしました。
"MEN'S WORK"で説明されている方法
上記の"MEN'S WORK"で説明されている方法は、
- 自分が願っていることを明らかにする質問への回答を書く
- その回答を元に伸ばしたい能力またはスキルのリストを作り、30日間集中してそれに取り組む
- 父親から離れるために、父親に宛てるつもりで手紙を書く
の3段階となっています。
こちらの詳細については、上記の書籍を参照いただきたいです。
以下では、この方法を参考にして、私自身が実際にやったことについて書いていきます。
私なりの「自分が自分の父親となる」ワーク
私は、上記の書籍で紹介されているワークを参考にしながら、私なりの「自分が自分の父親となる」ワークをやってみました。
その方法は以下の通りです。
- 書籍にある質問への回答を書く
- 今の自分または望ましい父親像を持つ人物が、昔の自分に対してこういうことをしている、という状況について文章を書く
以下、上記の書籍の質問のいくつかを抜粋して、それぞれについて書いていきます。また、「今の自分または望ましい父親像を持つ人物」を「ファザー」と呼ぶことにしました。「小さい頃の自分」は「私」です。
「小さい頃、父親に教えてほしかったこと」の質問から
まず、私はファザーと「良い生き方とは何か」という話をしています。ファザーは、初めに「君はどう思う?」と私に聞きます。その様子は決して高圧的なものではなく、とても穏やかで安心させるような雰囲気です。私は「楽しく生きられること」と答えます。「『楽しい』にもいろいろな種類がある。君はどんな『楽しさ』を持てると良いと思う?」とファザーは聞きます。この時もやはり、私を責めるような雰囲気は一切ありません。優しく微笑むその表情から、私の考えに興味があること、私が考えていることを本心から聞きたいと思っていること、そのことが私に確かに感じられます。私は、この人になら自分の本心を話しても大丈夫なんだ、と心の底から感じています。神経活動のレベルで、そのような感覚を持っています。私は「自分がやりたいと思うことをできること」と言います。「とても良いね」とファザーは返します。「私自身の場合、良い生き方は…」と、ファザーは自分の考えを話します。私は、そのことを興味深く聞きます。ファザーと話すのはとても楽しいです。いつか自分も、ファザーみたいに「良い生き方」について誰かとこんなふうに話をできる人になりたい、と私は考えています。
「小さい頃、私が感じていたこと」の質問から
ファザーは、私が興味を持っていることに対して、一緒に興味を持ってくれます。私が鉄道の図鑑を読んでいる時には、私の近くに来て、この本は面白い、とか、この列車はこういう特徴がある、という話をしてくれます。私は、その時は楽しくファザーと話をします。もう少し一人で図鑑を読んでいたいな、と思った時には、ファザーは「また後で」と言って、私が図鑑を読み続けたい、という意思を尊重してくれます。私は、図鑑を読むのも好きですが、図鑑のことについてファザーと話すのも好きです。一人で図鑑を読んだ後に、今日は図鑑でこういうことを知った、という話をすると、ファザーは優しい笑みを浮かべて、私の話に聞き入ってくれます。だから私は、もっといろんな本を読みたくなりますし、そのことについてもっとファザーと話したくなります。
「小さい頃、実際には得られなかったが、父親から得たいと願っていたこと」の質問から
ファザーは女性と話す時にも、いつも穏やかで、優しく、相手を尊重することを決して忘れません。意見の食い違いであるとか見解の不一致がある時にも、冷静に、自分にも相手にも敬意を持ちながら、解決のための方法を探っていきます。そういう時にはファザーは「論理で説得をする」という方法を使っているようですが、相手を論破するという雰囲気は感じられません。論理的に考えていても、相手の感情を確かに受け止めています。自分の感情もちゃんと相手に表現しています。もし相手の女性が泣きながら話していたり、怒りながら話していたとしても、ファザーが答える様子はいつものように穏やかで優しいです。相手が立っていたら自分も立ち上がり、相手が座っていたら自分も座り、同じ目線で相手の話を聞きます。ファザーは、まず相手の話を聞きます。その様子から、全身で相手を感じているということが私にもわかります。決してよそ見をせず、相手を心の底から理解したいということがひしひしと感じられます。相手の言っている言葉はもちろん、その背景にある相手の感情、そして相手の人間性そのものまで含めて「聞く」ということをしています。しばらくしていると、さっきまで泣いていたり怒っていたりした相手の女性も、気付けば落ち着いて、穏やかに話すようになっています。その時になって、ファザーは自分から話をします。その時にファザーがすることはアドバイスではなく、自分が何を感じているのか、という感情の共有です。自分の気持ちのシェアなので、相手がそのことを受け入れても良いし、聞いた後は手離しても良い、という前提で話している、とファザーは言っていました。そうして会話をした後には、相手の女性はすっかり安堵した様子で、ファザーに対してありがとう、と言っています。ファザーはこういう時でもいつも穏やかで、安定した心を持っています。ファザーの近くで暮らしている女性は、きっと、いつも安心して過ごせているのでしょう。ファザーはよく話しています。「男性と女性とでは、身体的にも心理的にも、共通している部分は少ししかない。だから、身近な女性とはいつもしっかりと会話をすることが必要なんだ。女性は確かに男性とは違っているけど、どちらかが良くてどちらかが良くない、ということではないんだ。女性も人間なのだから間違えることもあるし、逆に自分が間違っていて相手の女性の方が正しいこともある。相手が間違っているかもしれないと感じたら、落ち着いて自分の考えていることを伝えるようにしている。逆に、相手の方が正しいかもしれないと感じたら、その時も落ち着いて、相手の言うことにしっかりと耳を傾けるようにしている。私はそういうふうに考えているよ」
ファザーは、私が悲しい時や苦しい時には、いつも近くにいてくれます。私が泣いている時には、私が泣き止むまでギュっと抱きしめていてくれます。そういう時には、もう大丈夫、と私が感じられるまで、ファザーは私のそばにいてくれます。私が泣いている間は、ファザーは特に何かを語りかけたりはしません。ただ、ずっと抱きしめてくれています。私が泣き止んだたら、その時にファザーはゆっくりと話をし始めます。何が起こったのか、私がどう感じていたのか、私は本当はどうなっていてほしかったのか。ファザーは穏やかに聞いてくれるので、私は、自分がどういう感情を持っていたのか、明確に言葉で表わすことができます。そして、話し終わったら、ファザーはもう一度ギュっとハグをしてくれます。
「父親が私に対してしたことで、不必要だったこと」の質問から
ファザーは、世の中にはいろんなタイプの生き方がある、と話してくれます。都会で会社員になるという生き方もあるし、地方に住むという生き方もあるし、外国で暮らすという生き方もある。芸術家であるとか、冒険家であるとか、そういった生き方をする人もいる。ファザーは、自分の現在の生き方をしていて良かったと思っています。そして、それまでの人生の岐路において選ぶかもしれなかった生き方のことや、信頼できる友人の生き方についても、たくさんの話をしてくれます。生き方にはたくさんの可能性がある。そして、どの生き方であっても、描いたビジョンに向かって進んでいくことが必要だ、と話してくれます。ファザーは、自分の選んだ生き方の話をする時にも、選ばなかった生き方の話をする時にも、友人の生き方の話をする時にも、私からのいろんな質問に答えてくれます。もし、その時にわからないことがあったら、友人や知り合いに聞いてくれて、何日か後になってそのことについて回答をしてくれます。私は、いろんな良い生き方があるんだ、とファザーの話しぶりから感じています。
(「父親が私に対してしたことで、不必要だったこと」の回答として、現在の私は「『高学歴』であることが人生の全てを決めると言っていたこと」と書きました。)
「もし自分が望ましい完全な男性像を持っていたら、小さい頃の私がその人から学びたいと思っていたであろうこと」の質問から
ファザーは、本当の自分として生きること、について良く話をしてくれます。自分が何者であるのかを明らかにすること、についても良く話しています。どちらも、同じような考え方です。「本当の自分とは探しても見つかるものではない」と考える人もいるようですが、ファザーの考え方はそれとは違います。そして、私もファザーと同じ考え方をしています。「本当の自分として生きること」「自分が何者であるのかを明らかにすること」は、私が特に好きな話です。このことは、人が成長していくこと、成熟していくことに特に深く関わっている、とファザーは話してくれます。人として、どの時期にどのようなことをすると良いのか、いろんな人の考え方を引き合いにしながら、いろんな話をしてくれます。それと併せて、ファザーが人生のどの時期にどのような経験をしたのかの話をしてくれます。何回も話をしてくれますが、いつも新しい話を聞かせてくれて、私はいつも楽しく聞きます。そして、私がこれからの人生でどのような経験をする可能性があるのか、についても話してくれます。私が、こういうことをやってみたい、ああいうことをやってみたい、という話をすると、それをやるためには、人生のこういう時期にこういうことをすると良いね、という話をしてくれます。私が、こういうことをしたいと言うと、ファザーはたいてい「それは良いね」と言ってくれます。時には、「それだったら、他にも似たようなこういうものがある。君の場合は、そちらの方がもっと楽しめるかもしれない」という話をしてくれることもあります。私は、ファザーとこの話をすることがとても好きです。
「もっと活発に追求したいと以前から切実に思っている願望は何か」の質問から
ファザーは、自分の才能を生かすこと、自分自身にしかできないことをすること、についても良く話をしてくれます。自分の才能とは「ギフト」なんだ、とも良く言っています。「自分のギフトを生かすことができたら、自分は楽しみながらそのことに取り組める。そうしたら、周りの人もきっと幸せにできる。だから、自分のギフトを生かせることをした方がいい」と良く話してくれます。もちろん、ファザーの自分自身の才能について、いろんな話を聞かせてくれます。その才能に初めて気付いたのは人生のいつ頃から、どのようにしてその才能を伸ばしていったか、その時に誰と一緒に過ごしていたか、他にも持っているかもしれないと思った才能は何か、今その才能をどのように活用しているか、今その才能をどのように伸ばしているか。
私は、自分の才能は何だろう、ということをファザーに聞きます。まだ完全にはわからないと思うと言いながらも、私が持っている可能性のある才能について話をしてくれます。君は普段こういうことをしているから、こういう才能を持っているかもしれない。それか、同じ行動をしていても、こういう才能を持っているという可能性もある。それから、今はそういうことをする機会がないけれど、人生の中でこういう時期が来てこういう行動をする時には、こういう才能があると気付くかもしれない。もちろん、私は才能の話をファザーとするのも好きです。
「父親に言ってほしかったこと」
ファザーとこういう話をしたことがあります。「こうして、人生の大事な期間を君と一緒に過ごせることができて、私は幸せだよ。君は私にいろんなことを教えてくれる」と。「教えてもらっているのはこちらの方だよ」と私は答えます。ファザーは言います。「確かにそうかもしれない。でも、私も君からたくさんのことを学んでいるんだ。君を見ていると、自分が小さかった頃を思い出す。君がその時の私と同じように考えていることもあるし、そうではないこともある。時には、昔の私よりも今の君の方が大人のように思えることもあるんだ。それに、今の私よりも君の方が物事を良く理解していると思えることもあるよ」私は言います。「本当に?」ファザーは言います。「本当だよ。君もいつかは私を超える日が来る。君ならきっと、私を超えた立派な大人になると思う。君にとってはずっと先のことだと感じるだろうけど、私にとっては、きっとあっと言う間のことだよ」
「そして、その頃には君は私の元を離れて、自分だけでも暮らしていけるだろう。私には、その頃の君の姿がはっきりと思い浮かべられるんだ。君は自分で自分のことを全て決めて、自分自身で判断をして、そのことに責任を持っている。そして、その時の君は確かな自信を持っている。とても頼りがいのある大人に、君はなっているよ」ファザーはそのまま続けます。「それから、君は一緒に過ごしていたいと感じられる人と出会うと思う。君はその人を大事にしたいと思っていて、その人も君を大事にしたいと思っている。大変な出来事を経験することもあるだろうし、お互いを信じられなくなることもあるかもしれない。それでも、君であったら、君が信じる人と一緒に幸せで充実した生き方をできると私は思うよ」
「もしかしたら、君は自分の子に対して、こんなふうに話しているかもしれないな、とも思っているよ」と言って、ファザーはひとまず話を区切りました。「ふーん」と私は言います。「そんな感じなのかなあ」それに対してファザーは答えます。「もちろん、君の人生は君自身のものだ。だから、決めるのは君自身だよ。私はいま言ったことは私が想像したことだから、その通りに生きなくても全く構わない。良い生き方というのは、人それぞれにあるものだから」そこでファザーは、少し間を置いてから言いました。「いずれにしても、君は良い人生を送ることができると私は思っている。そのことを信じているよ」私は言います。「そうかあ。そうだといいな」ファザーは言います。「きっと、そうだよ。そう信じていいんだよ」私は言います。「そっか。ファザーがそう言うならそう信じる」そのまま続けて言います。「どうもありがとう。話してて楽しかった」ファザーは答えます。「そうか。それは良かった」そして、私は両手を広げてファザーに近付き、ファザーも両手を広げて、私をギュっと抱きしめてくれました。
(「父親に言ってほしかったこと」という質問は上記の書籍にはありません。ここまでの展開から必要だと感じたため、私がここに付け加えたものです。)
おわりに
今回は、書いていてなかなか恥ずかしくなってきました…。
とはいえ、いつもと違うタイプの文章を書いた割には、そこそこ良く書けたのは良かったです。私の場合、情景が思い浮かんだ場合でも文章で書きたくなる人なので、このスタイルはなかなか自分に合っていました。そして、「エクスプレッシング(expressing。気持ちを表すこと)を大事にしてください。エクスプレイニング(explaining。説明すること)だけではなく」というお話がメンズ・ウィークエンドでもありましたので、その意味でも合っているでしょう。
大事なことは、ファザー・ユアセルフ、つまり、「自分が自分の父親となる」ことです。そのための方法はいくつかあると思いますし、今回に取り上げた書籍に書いてあることは(洋書ですが)手に取っていただければわかることです。そう考えると、「このブログの投稿者はこうやって『自分が自分の父親となる』をやってみた」という具体例を示すことの方が意味がある、と思われました。
「自分の父親がしていたことについて、こういうことが不満だった」「自分の父親がこうしてくれなかったから、自分はちゃんと成長することができなかった」と感じることはあると思います。その上で、そこから前に進むためには「では、どうなっていたとしたら良かったのか」「仮にその時の出来事を書き換えられるなら、どのように書き換えるのか」を考えることが重要でしょう。その段階では、自分自身がどうするか、ということのウエイトがとても大きくなります。
私としては、「過去のネガティブな出来事が繰り返し思い起こされる」という時は、「その時の自分が本当は何を必要としていたのかを明らかにしたい」というメッセージを心が発信している、と感じられます。そして、「過去のネガティブな出来事が繰り返し思い起こされる」ということは、「今」に起こっていることです。これは明らかに「今」のことだ、と捉えて心が何らかの必要性を満たそうとしている、と考えるべきでしょう。「過去のことは変えられないのだから、考えるだけ時間の無駄だ」という発想は、「今」の心の状態をないがしろにしてしまう可能性が高いです。「今」のことに取り組みたいならば、なおさら「過去のネガティブな出来事が繰り返し思い起こされる」という、現在に起こっていることに意識を向けるべきではないでしょうか。
上記の方法(書籍にて紹介されている方法でも、私がやってみた方法でも)では、本物の父親に話をするわけではない、という点が注目に値します。私の知る限り、本物の父親(時には母親)に「どうしてあの時、あんなにひどいことをしたのか」と詰め寄ったとしても、上手くいかないことがあるようです。納得のいく答えが返ってくることもあるかもしれませんが、「覚えてない」で話が終わってしまうケースがあるそうです。そうなると、納得のできる回答を期待していたにも関わらず、逆に落胆してしまうことになります。親であっても、そのような時に心ある応対をしてくれるとは限らない、ということを心に留めておくべきなのでしょう*1。
自分自身が自分の父親となることにより、自分で自分を成長させられる実感を得られます。それこそが、まさしく、このワークの重要な点です。その感覚こそが、「父親がどのようなことをしていたのか、ということと、現在の自分の状況とはもはや関係がない」と明確に認識するためのステップです。これはまさに、自分の人生を自分で生きていく、ということを意味しています。
最後に、今回に取り上げた書籍から引用をします。
小さい頃の自分が必要としていたような男性になってください。その頃の自分が、尊敬したい、学びたい、この人みたいになりたい、そしていつかはこの人を超えたい、と思えるような男性に、あなた自身がなってください。このワークをすることにより、あなたはより成熟した自分自身へと進歩することができます。そして、人間関係、健康、お金、仕事に対してあなたが子どものように振る舞うことを終わらせて、持ちたいとずっと願っていた能力とスキルを得ることへと、あなたを導いていきます。
71ページより。訳は投稿者による。
お読み下さり、ありがとうございました。
*1:この部分は、水澤都加佐『あなたのためなら死んでもいいわ 自分を見失う病「共依存」』を参考にしています。